2011年10月14日

皇帝・シンボリルドルフ(SYMBOLIRUDORLF)遂に天国の元へ旅立つ 牡・30歳での生涯を終えての逝去・3

1984年・牡・4歳(現・3歳)になった、シンボリルドルフ(SYMBOLIRUDORLF)は、報知杯・弥生賞に参戦し、ビゼンニシキを抑えて優勝、4月に中山競馬場で行われた、皐月賞に駒を進めており、2着のビゼンニシキを抑え、当時の主戦騎手・岡部幸雄騎手(現・JRAアドバイザー)が、スピードトライの進路妨害で、騎乗停止の処分を受けたが、シンボリルドルフは見事に優勝した。

そして、東京競馬場で行われた、第51回・日本ダービー、シンボリルドルフは、1番人気に支持されての参戦となり、芝コースに顔を見せた。

2400メートルのコースを走る、日本ダービーは、多くの競馬ファンで埋め尽くされ、ファンファーレと同時に、ゲートインする。

シンボリルドルフは、ゲートに収まり、発走を待っていたのです。

「ガッシャン。」

スタートと同時に、シンボリルドルフの、日本ダービーがはじまった。

シンボリルドルフ「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

直線コースに入り、シンボリルドルフは上位に、立ち、追ってくる、皐月賞の2着馬・ビゼンニシキ以下を突き放し、先頭に立つ。

競馬ファンの応援とともに、シンボリルドルフは最高潮に達し、ゴール板を駆け抜ける。


シンボリルドルフ「ヒヒ〜ン、ヒヒ〜ン。」


シンボリルドルフは、大きいいななきで、日本ダービーの制覇を喜んだ。

記念撮影に臨んだ時も、シンボリルドルフは、いななき、喜んだ。

「ヒヒ〜ン!」

シンボリルドルフは、東京競馬場内の検査施設に行き、おしっこを出した。

「バシャーーーーーーーーーーーー!」

シンボリルドルフは、出張厩舎に戻り、レース終了後、美浦・野平厩舎を経由して、千葉・シンボリ牧場に戻り、休養した。

秋に入り、ラジオ日本賞セントライト記念に出走していた、シンボリルドルフは、2着馬を抑えて、勝利をものにし、いよいよ、三冠レースの最終関門・第45回・菊花賞に挑む為、初の滞在競馬に入り、入厩する。

シンボリルドルフ「ヒヒ〜ン、ブルルルルルル!」
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2011年10月10日

皇帝・シンボリルドルフ(SYMBOLIRUDORLF)遂に天国の元へ旅立つ・牡・30歳での生涯を終えての逝去・2

1983年(昭和58年)・牡・3歳(現・2歳)になり、逞しい、鹿毛の美男子・貴公子の馬になった、シンボリルドルフ(SYMBOLIRUDORLF)、美浦での、調教などの、調整をへて、7月23日・新潟競馬場で行われた、サラ系3歳新馬戦(現・メイクデビュー新潟)・1着で、競走馬デビューした。

この年は、グッドルッキングホース・ミスターシービー(Mr.C.B.=2000年12月15日・蹄葉炎による衰弱の為・牡・20歳(人間に例えれば、60歳〜70歳前後になる。)で、死去した・1980年4月7日生まれ・毛色・黒鹿毛)が、共同通信杯4歳ステークス(現・共同通信杯)・報知杯弥生賞・皐月賞・日本ダービーを制覇し、二冠馬になり、京都新聞杯では2回目の敗戦を帰した後、11月13日に京都競馬場で行われた、第44回・菊花賞に出走し、シンザン以来、19年ぶりに三冠を達成し、1983年の、優駿賞(現・JRA賞)・年度代表馬に輝いた年でもあった。

10月23日に、東京競馬場で行われた、いちょう特別、シンボリルドルフは、エビスジョウジを抑えて、2勝目を挙げる。

11月27日、3歳オープンに出走した、シンボリルドルフ、2着のハルーダを抑えて、3連勝、無敗馬としての活躍を見せる。

この年のシンボリルドルフは、3戦3勝の成績で、競争生活を終え、来年の4歳(現・3歳)の活躍を誓い、3歳での競争生活を終えた。

野平厩舎にいた、シンボリルドルフは、馬運車に乗り、千葉シンボリ牧場に戻っては、休養を過ごしていた。

シンボリ牧場の厩舎に入った、シンボリルドルフは、過ごしやすい環境になれながら、見つめていた。

シンボリルドルフ「ヒヒ〜〜〜〜〜〜〜ン!」

シンボリルドルフは、大きい声で、いなないた。


シンボリルドルフ「ブルルルルルルルルルルルル。」

鼻息を、鳴らし、大きい男馬に育った、シンボリルドルフ、鹿毛の馬体を揺らしながら、逞しく、皇帝のように生きていく馬、パーソロンを父に、スイートルナを母に持つ、鹿毛の皇帝馬、それが、シンボリルドルフである。

シンボリルドルフ「ヒヒ〜ン!」
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2011年10月08日

皇帝・シンボリルドルフ(SYMBOLI RUDORLF) 遂に天国の元へ旅立つ・牡・30歳での生涯を終えての逝去・1

1981年3月13日に、雄大な、北海道・日高の自然に抱かれた、門別で生まれ、育まれた、鹿毛の男・皇帝・シンボリルドルフ(SYMBOLI RUDOLF)が、10月4日・千葉県・成田市の、千葉シンボリ牧場で老衰の為、牡・30歳で、この世を去り、30年の生涯を終えた、人間に例えれば、90歳〜120歳前後に相当する年齢だ。

ここで、幼年時代から、亡くなるまでの、シンボリルドルフを物語でつつ゛り、振り返ってみよう。

シンボリルドルフは、北海道・沙流郡・日高町・門別(当時は、門別町)の、門別シンボリ牧場で生まれた、父は、アイルランド産馬・パーソロン・母は、1勝馬・スイートルナである。

シンボリルドルフの父・パーソロンは、1960年(昭和35年)アイルランドで生まれた馬で、1963年(昭和38年)には、シンボリ牧場の手で、日本に種牡馬として輸入され、初年度から、メジロアサマなど、多くの馬を重賞競走に送り込み、制覇を成し遂げました、パーソロンの成功によって、ミステリー・マイフラッシュなどが、種牡馬として輸入され、日本の競馬に大きな影響を与えたのです。

母・スイートルナは、競走馬として、1勝の成績を残した、栗毛の牝馬で、後に、繁殖牝馬となり、繋養されたのです。

ルナの名前がついた、幼年時代のシンボリルドルフは、大きく草をはみながら。成長して行ったのです。

1982年・牡・2歳(現・1歳)になった、シンボリルドルフは、門別のシンボリ牧場を離れ、岩手のシンボリ牧場に行き、幼年時代を送ったのです。

2歳(現・1歳)・後半、シンボリルドルフは、大きい放牧場を、パカッ、パカッと、走って行きました。

1983年・牡・3歳(現・2歳)になった、シンボリルドルフは、遂に、千葉シンボリ牧場に移り、ここで競走馬としての英才教育を受けながら、貴公子として成長してやる事にしました。

この時、血統名・ルナの競争名が、冠名・シンボリに、神聖ローマ時代の、13世紀に、現在のオーストリア共和国の部分に当たる、ドイツ・ハスプルグ王朝の皇帝・ルドルフ1世にちなんで、シンボリルドルフと命名されたのです。

産地馬体検査を受検と同時に、当時・美浦トレーニングセンターに所属した、野平祐二調教師(故人)が開設した、野平祐二厩舎と預託契約をかわした、シンボリルドルフは、競走馬としての第1歩を踏み、育成していく事になるである。

シンボリルドルフ「ブルルルルルル、ヒヒヒ〜ン!」
posted by BOUQUETFRAGRANCE ブーケフレグランス at 23:44| Comment(0) | 往年の競走馬・種牡馬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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