2011年10月15日

皇帝・シンボリルドルフ(SYMBOLIRUDORLF)遂に天国の元へ旅立つ 牡・30歳での生涯を終えての逝去・6

1986年・牡・6歳(現・5歳)になり、日本でのレースを終えた、シンボリルドルフ、いよいよ、アメリカ・サンタアニタパーク競馬場で行われた、サンルイレイステークス(現・ハンデキャップ)に出走させるために、海を渡った、シンボリルドルフは、C.マカナリー厩舎の管理の下、過ごすことになった。

2月・サンタアニタパーク競馬場の、C.マカナリー厩舎に入った、シンボリルドルフは、飛行機の疲れをいやしながら、過ごした。

シンボリルドルフは、C.マカナリー厩舎で、たてがみをシャンプーで洗ってやった。

日本から同行した、藤沢和雄調教助手(現・調教師)・伊藤信夫厩務員など、野平祐二厩舎のスタッフが来ていて、シンボリルドルフの面倒を見た。

サンタアニタパークの芝コースを、シンボリルドルフは走って、感触を確かめた。

「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

C.マカナリー厩舎に戻った、シンボリルドルフは干した牧草をはんでは、厩舎での生活を過ごした。

シンボリルドルフ「ブルルルルルルル、ブルルルルルルルル。」

シンボリルドルフ「ウーーーー!」

シンボリルドルフ「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」

シンボリルドルフは、大きくて、緑色のうんこを出してやった。


シンボリルドルフは、アメリカでのレース参戦に熱意を注ぐ馬である、いよいよ、シンボリルドルフは、サンルイレイステークスに挑み、走りだして行くのである。

シンボリルドルフ「ヒヒ〜ン、ブルルルルル!」


1986年3月29日(日本時間・3月30日)サンルイレイステークス(現・ハンデキャップ)にシンボリルドルフが、登場、パドックに顔を見せた。

ファンファーレとともに、サンルイレイステークスのゲートインがはじまり、シンボリルドルフは、ゲートの中に収まった。

シンボリルドルフ「ブルルルルルルルルルルル。」

ガッシャン、りリリリリリリリリン。

「END ROLL」

シンボリルドルフ「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

シンボリルドルフ「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

シンボリルドルフ「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

シンボリルドルフ「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ」

シンボリルドルフは、直線コースで脚靱帯炎症を発症したまま、6着でレースを終えた。

シンボリルドルフは、C.マカナリー厩舎に戻った。

シンボリルドルフ「ヒヒ〜ン、ヒヒ〜ン、ヒヒ〜ン、ヒヒ〜ン、ヒヒ〜ン。」

シンボリルドルフは、悲しそうに、大きくいなないた。

こうして、シンボリルドルフは、6着で、サンルイレイステークスを終えた。

これが、シンボリルドルフの最後のレースとなった。

1986年・牡・6歳の男馬、皇帝・シンボリルドルフの引退が発表され、中山競馬場で引退式が11月に行われ惜しまれつつ、シンボリルドルフは、ターフを去るのである。

1987年・牡・7歳の男馬に成長した、皇帝・シンボリルドルフは、この年から、北海道・沙流郡・門別町(現・日高町)のシンボリ牧場で、種牡馬入りし、2004年の種牡馬引退まで繋養され、トウカイテイオー(現在は、後継種牡馬として活躍中)・アイルトンシンボリ・キョウワホウセキ・ツルマルツヨシ・ミスタールドルフ等の産駒を輩出した、その後、種牡馬を引退した、シンボリルドルフは、2004年まで、門別・シンボリ牧場で功労馬として送った後、2005年には、千葉・シンボリ牧場(成田市)に移り、ここで余生を送った。

昨年・ジャパンカップ 創設30周年のイベントとして、シンボリルドルフは、東京競馬場のパドックに顔を見せたのです。

今年の、3月13日、皇帝・シンボリルドルフは、牡・30歳の誕生日を迎え、パーソロンと、スイートルナの仔として生まれてから、30周年を迎えた。

しかし、皇帝・シンボリルドルフに異変が起きた。

今年の、10月頃、体調を崩し、栄養剤を投与するなどしていたが、10月4日の朝3時00分ごろ、老衰の為、牡・30歳で、30年の生涯を終え、天国の元へ旅立った、人間に例えれば、90歳〜120歳という、大往生だったのである。

競走馬として、長く活躍し、種牡馬になってからも、トウカイテイオーなどの産駒を輩出するなど、活躍した、皇帝・シンボリルドルフのご冥福をお祈りしたい。

(終)
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皇帝・シンボリルドルフ(SYMBOLIRUDORLF)遂に天国の元へ旅立つ 牡・30歳での生涯を終えての逝去・5

1985年・牡・5歳(現・4歳)になった、シンボリルドルフ、初戦の日経賞でも、4馬身差をつけて勝利、牡・5歳(現・4歳)でのスタートを切った。

同年4月29日・京都競馬場で行われた、第91回・天皇賞(春)に、シンボリルドルフは、鹿毛の毛色をなびかせながら、出走させた。

シンボリルドルフは、1984年・牡・4歳(現・3歳)以来の、京都競馬場でのレースに出走させたのである。

今度は、芝・3200メートルと、長い距離を走るレースになりそうと、シンボリルドルフにとって、大きなレースを参戦させるか、構想を練りながら、出走させた。

その頃・1983年の年度代表馬であり、第90回・天皇賞(秋)を制覇した、同じ三冠馬の、ミスターシービーが、サンケイ(現・産経)大阪杯で、ステートジャガーの2着に終わり、天皇賞(春)に参戦して来たので、シンボリルドルフにとって、負けられないライバルとして出走させて来た、シンボリルドルフも、負けないぞのつもりで参戦させた。

パドックには、シンボリルドルフの他、ミスターシービー・メジロモンスニ―などの有力馬が出走してきており、多くの競馬ファンが人気を分けた。

ファンファーレとともに、第91回・天皇賞(春)のゲートへの枠入りがはじまり、シンボリルドルフは無事にゲートの中に収まったのです。

ゲートオープンと同時に、第91回・天皇賞(春)はスタートし、シンボリルドルフも最初、馬群の中での競馬となる。

2周目の最終コーナーから直線コースで、シンボリルドルフは、ミスターシービーを捉えた上、先頭に立っていた、スズカコバンかわして、先頭に立ち、2馬身2分の1差で快勝、5冠を達成させたのです。

シンボリルドルフ「ヒヒ〜ン、ヒヒ〜ン、ヒヒ〜ン!」

シンボリルドルフは、大きい鼻声でいななき、勝利を喜んだです。

一方、ミスターシービーは5着に終わり、シンボリルドルフを倒す事が出来なかった。

シンボリルドルフは、第91回・天皇賞(春)を制覇し、5冠馬に輝いたのです。

シンボリルドルフが、休養に充てていた頃、ミスターシービーの現役引退が、発表され、競馬界は、ショックを受けました、骨膜炎という軽症を発症し、これ以上の現役復帰は困難と判断され、8月28日・引退が発表されました、そして、10月6日・デビュー地の東京競馬場で引退式が、雨の中行われ、第90回・天皇賞(秋)の優勝時のゼッケン13番で、芝コースに顔を見せ、多くのファンに惜しまれつつ、去って行きました。

シンボリルドルフは、第92回・天皇賞(秋)に出走させたが、当時・13番人気で、大外強襲で走ってきた、ギャロップダイナの2着に敗れ、2回目の敗戦を帰したのです。

そして、昨年に続いて駒を進めた、ジャパンカップ、2着のロッキータイガー(地方からの参戦)以下を抑えて、勝利をものにしたのです。

そして、日本国内のラストランとなった、グランプリ有馬記念でも、2着のミホシンザンを抑えて、優勝、5戦4勝2着1回で、日本競馬でのレースを終えた、シンボリルドルフは、1984年に続いて、優駿賞(現・JRA賞)・年度代表馬・最優秀5歳牡馬(現・最優秀4歳牡馬)を受賞した。

シンボリルドルフは、15戦13勝の成績で、日本での競争を終えた、いよいよ、アメリカでのレース参戦に挑む。

シンボリルドルフ「ヒヒ〜ン!」
posted by BOUQUETFRAGRANCE ブーケフレグランス at 04:53| Comment(0) | 往年の競走馬・種牡馬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

皇帝・シンボリルドルフ(SYMBOLIRUDORLF)遂に天国の元へ旅立つ 牡・30歳での生涯を終えての逝去・4

1984年・牡・4歳(現・牡・3歳)になり、すでに2冠を達成し、ラジオ日本賞セントライト記念を制覇した、シンボリルドルフは、第45回・菊花賞(芝・3000メートル・京都競馬場)に駒を進める為、初の滞在競馬をさせることになり、美浦トレーニングセンターを出発し、栗東トレーニングセンターの出張厩舎に到着し、休養させた。

前日までに調教をさせており、馬運車で、長い輸送の末での到着だった。


いよいよ、第45回・菊花賞の当日、京都競馬場のパドックに、シンボリルドルフが顔を見せた。

シンボリルドルフ「ブルルルルルルルルル。」


シンボリルドルフは、京都競馬の芝コースの本馬場に入場した。


ファンファーレと同時に、ゲートインに入った、シンボリルドルフは、ゲートオープンと同時に、飛び出して行く。

シンボリルドルフ「ヒヒ〜ン!」


シンボリルドルフは、最初、馬群の中にいたが、最後の直線コースで、先頭に立った。

パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、

先頭に立っていた、シンボリルドルフに、ゴールドウエイが襲いかかってきたが、そのまま、逃げ切った。


史上初、無敗の三冠馬の誕生だ。


シンボリルドルフ「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

シンボリルドルフは、北海道・日高山脈の門別の牧草に育まれた、美しい、逞しく育った馬、それが、シンボリルドルフ。

シンボリルドルフは、大きい声で、いなないた。

「ヒヒ〜ン、ヒヒ〜ン。」

シンボリルドルフは、パーソロンを父に、スイートルナを母に持つ、鹿毛のサラブレッド、英才教育を受け、念願の3冠馬になったのである。

おしっこを検査筒にいれた後、出張厩舎に戻った、シンボリルドルフは、干した牧草を食みながら、景色を眺めていた。

こうして、皇帝・シンボリルドルフは、菊花賞を制覇したのである。

シンボリルドルフ「ヒヒ〜ン!」

その後、シンボリルドルフは、ジャパンカップに駒を進めたが、1983年の三冠馬であり、ライバルでもあった、ミスターシービー(2000年・死去)も参戦してのレースとなったが、カツラギエースの3着に終わり、初の敗戦を帰した。

いよいよ、シンボリルドルフは、グランプリ・有馬記念に挑み、ファン投票でも、グッドルッキングホース・ミスターシービーに次ぐ、2位だったが、単勝1番人気に支持されての出走となった、前走・ノーマークで、カツラギエースに逃げ切られた反省から、カツラギエースをマークすることに徹し、最後の直線で先頭に立ち、逃げ粘る、カツラギエースを抑えて。レコードタイムで優勝した。
(ミスターシービーは3着でレースを終えた。)

シンボリルドルフは、7戦6勝の成績で、1984年の、優駿賞(現・JRA賞)・年度代表馬・最優秀4歳上牡馬に選出された。

1985年・牡・5歳(現・4歳)になった、シンボリルドルフは、更なるレースに挑む。

シンボリルドルフ「ヒヒ〜ン!」



posted by BOUQUETFRAGRANCE ブーケフレグランス at 03:45| Comment(0) | 往年の競走馬・種牡馬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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